インド転職から大学助教へ?!胸に秘めたファッションへの熱き思いを語る!

インドで働く人インタビューシリーズ、今回は以前インドにてアパレル関連のお仕事に従事されており、現在は日本で文化ファッション大学院大学の助教を務めていらっしゃいます久保寺さんにインタビューを行いました!

ファッション業界に強く魅了された

どういった経緯で海外就職に至ったんですか?

幼い頃からファッションに対しての興味が強かったです。ただ、両親の意向もあって進学時には4年制大学を選びました。大学では服装社会学や西洋服飾史を専攻していたので、実際に洋服が作れるようになりたいという思いが生まれ、3年時からダブルスクールで服飾系の専門学校に3年間通いました。その後更なる知識欲が生まれ、大学院大学という形で修士をとるに至っております。

4年制大学、服飾系専門学校、大学院を経て、国内で大手アパレルメーカーに就職し、開発MD(マーチャンダイザー)として仕事をしておりました。実は、商品を作るにあたって企画側のデザイナーと発注側のマーチャンダイザーの間では、情報乖離などが結構多く、そこを上手く繋いであげるというのが役目でした。

実際、デザイナーとともにシーズンの企画を進めたり、それを店頭でどのように表現するかなどブランドの全体を一貫して見られたことは非常に勉強になりましたし、やりがいを感じました。

そこで約4年の経験を経て、同じ業界でも、より生産者側に近い場所で働きたいなという思いや、日本のファッション業界にある問題意識などに駆られました。

予てより自身の海外旅行好きや海外のファションや文化への興味、英語力の向上の必要性を感じていたことから、その時にすべてがマッチしてベクトルが海外に向いたような流れでした。

どうしてインドだったんですか?

本当はファッションの本場ヨーロッパで学べたら、仕事ができたらとは思いました…ただ、それはやはり私自身にとって少しハードルが高かったんです。

そうすると、次の選択肢としてアジアに目を向けることになるんですが、アジアの製造工場となると、やはり注目するのは中国かインドでした。その中でインドに決めた理由はいくつかありまして、縁・タイミングといった要因も大きかったように思います。

インドは旅行した中でも非常に印象深かった国ですし、ちょうどその頃、チャイナプラスワンが騒がれる時期で日本のバイヤーさんもインドで物が作りたいと中国からどっと流れていたんです。

もちろん、若者も多く、元気な国っていう印象もありましたし、マーケットとしての魅力も感じていました。そのような日々成長する国を実際に肌で感じたいと思ったことも理由の一つですね。そんな時に、タイミングよくインド勤務の求人を見つけたんです。それだけすべてが重なれば、インドに決まりですね。

インドではどのようなお仕事をなされていたのですか?

計2年経験したんですが、1年目はジャイプールで日系のアパレル検品工場にての商品検品部門の管理をしておりました。お客様は日本なんですが、出荷前に商品をチェックするわけです。

中国と違い、品質では劣るところも多く、実際にカレーがついてたりっていう例もあるんですよね(笑)そういった商品をきちんとスタッフが検品できているかを管理して、何かあった場合には製造元やお客様となる日本とのやり取りが必要となったため、生産管理に近いことも経験してまいりました。

2年目は、よりモノづくり側にという思いを優先して、転職をいたしました。偶然デリーの工場で日本人スタッフを募集していたんです。社長は私が日本で就業していた企業の存在をご存じで、マーチャンダイザーとしての経験も認めて下さり、企画兼生産管理というポジションでお仕事をさせて頂きました。

幅広く新しいことにチャレンジできたので本当に楽しかったです。

インドでの仕事は毎日が劇場?!

インドで働くとはどのようなものでしたか?

毎日が劇場でした。(笑)周りがそうだったというのもあるのですが、こんなに自分自身が声を荒げて注意や指導をするとは思ってもみなかったです。それくらい様々な違いに対して日々戦っていました。

例えば、中国であれば1日で出来ることが、なぜかインドになると結局1週間かかってしまう。このような時間の概念の違いは当たり前です。

他にも一つの製品に対して、ボタン、糸、生地などの細かな注文があっても、その複雑な管理をインド人スタッフは実際出来ないんです。それでも、打ち合わせ時には「出来ます!」って言ってしまって、随分経ってからに「出来ません…」と報告してくる。

ひどい場合は、注文と全く違う物を用意してきてしまう。そんな彼らの口から出るのは「Incredible India!」。こうなると、ふざけるな~!ってなりますよね。(笑)

どうやってその状況を打破していかれたのですか?

日本のバイヤーさんに対して、もう一つはインド人スタッフに対して、そうした状況を鑑みて様々な工夫を凝らしました。
日本のお客様向けには、納期を予めゆとりをもって設定しておく、オプションを用意するなどしてバイヤーさんとのお取引が円滑に進むようにしていました。とはいえ、これが自身の管理していないマターで起きると、知らないですとは言えるはずもなく大変でした。

インド人スタッフに対しては、日本人目線を徹底的に捨てました。よくある話ですが、日本人目線で、やり方を押し付けるというのは全く持って意味をなしません。インド人の考え方を否定するのは以ての外です。

ですので、私自身もインド人の目線を想像し、その意見を尊重したうえで最善策を提案するようにしていました。あとは、組織自体は上下関係がはっきりしているので、部下となるワーカーに対してはズバッと厳しいことを口にして指導するようにしていました。

インド生活には不安はなかったのですか?

1年目はお話しした通り、ジャイプールで過ごしました。何もないといえばそれまでですが、環境としては非常に長閑で楽しかったです。人も非常に穏やかな方ばかりで、毎日チャイを飲んだり、休みの日はヨガをしたりと充実しておりました。

2年目はデリーに移ったのですが、先の経験があったのでその発展度合いには驚かされました。一層生活は便利になりましたね。好きなファッションやアートに多く触れることもできましたし、食べ物もいろいろな飲食店があり飽きませんでした。

UBERでタクシーにも安心して自由に乗れますし、とにかく便利の一言でした。治安の面でも、私は日本人ご夫妻とシェアして住んでいたので、住まいでの不安は一切ありませんでした。

もちろん、夜9時以降は一人での外出を避けるなどといった最低限の対応はしておりました。これについては、場所に限らずですが、それさえ忘れなければ危険なこともありませんし、実際一度もそういった経験はなかったです。

インドで気付いたファッションに対する新たな視点

そこまで充実したインド生活からなぜまた日本に?

普段インドの工場では、割と単価の安い商品を作っていました。中国のプライスの下をくぐらなければいけないので当然ですね。しかし、休日にデリーのクラフトミュージアムに行けば刺繍を贅沢にしたタペストリーのマスターピースが展示されていたり、知人の手織物の工場に行けば、緻密な手仕事の織り成す素晴らしい布がありました。

それに魅了されてしまったのですね。インドにはこんなに素晴らしい伝統やテクニックがあるのだと、なぜインドにいるのにこれらを知らなかったのだろうかと思いました。

また、日本で通っていた学校でも勤め先でも、基本的にファッションはヨーロッパの文脈で語られます。もちろんそれに間違いはないのですが、その原料である糸や染料、プリントや刺繍のテクニックなどの起源の多くはインドにあります。

もともとこの国は東インド会社もありましたし、そのような歴史的な背景もありヨーロッパへと伝わっていったものがたくさんあるのです。

今までヨーロッパを見てファッションを考えていた自分にとって、それは大きな衝撃でした。もう一度、これらについて学びたいと思いました。

ちょうどその頃、卒業した今の勤め先であります大学院大学の研究科長と連絡を取っていたんです。先生にはインドに移る前に、インドで何をしたいか、何を見聞きしたいのかなど事前に話はしていたんですが、その時の状況を改めて話すと、「だったらこっちに戻ってらっしゃい。」そんな言葉が返ってきたのです。

先生も私がしたい研究を理解してくださり、だったら教育機関なので休暇を利用して研究に没頭することも可能だし、働きながらしたいことができると仰ってくださったのです。その後、ビザが切れるタイミングで日本に戻った際にじっくり話をし、今に至ります。本当にタイミングや縁に恵まれました。

インドでの経験があったからこそ見えたもの

これまでのインドでの経験を通じて、今後のビジョンは?

インドで過ごした2年間は本当にかけがえのないものとなりましたね。人生のターニングポイントと言ったら大袈裟ですが、それくらい私にとってインパクトがあったのです。

国として成長していくインドのパワー肌で感じられたこと、インドの会社で働きアパレルの企画・生産に携われたこと、そして何より現在の行っている研究に結びつく気づきを得たこと、本当にいい意味で価値観を揺さぶられる刺激的な毎日でした。

インドやその他アジア各国にある伝統織物の数々は本当に価値のあるものです。より価値を見出せるようなことも、自身の活動を通して成し遂げていければと感じております。

今後は、さらに様々な研究を進め、このインドのファッション文化やその起源、さらにはアジア全体のファッション文化のプレゼンスを高めていきたいと考えておりますし、一人でも多くの人にその本当の価値というものを知ってもらいたいと考えております。

最後に、海外就職を目指している皆様に一言

インドであれば“母なるガンガー”になると思いますが、ずばり「まず一度飛び込んでみてください!」です。行ってみなければ何もわかりません。逆に、インドに行ってみて何か考えが変わったり、新しい発見がない人はいないと思います。それぐらい、インドは面白い国だと思いますよ。

私自身、本当に価値観がひっくり返されましたし、大切なことをたくさん見つけることができました。一人でも多くの人に身をもって経験してもらいたいですね。

編集後記:
ファッションへの熱き想い、このインタビューを通してヒシヒシと伝わって来ました。一貫してその道に身を置き、常に成長を追い求め、その中で発見してきたこと、遭遇してきたことに果敢に挑戦してこられた久保寺さん。

マーチャンダイザーに始まり、検品、生産管理、企画、そして現在が研究者側へと身を移し、ファッションの神髄を見極めようとされております。その中でも、インドで過ごした2年間がこれほどまでに人生に影響を与え、新たな道しるべを作ってくれるとは本当に驚きです。

久保寺さんとのお話で、タイミングや縁といったものの大切さにも改めて気づかされました。

責任感が強く、好奇心も旺盛でいらっしゃり、目指すべき道へ費やす努力は生半可なものではない。日々を大切に、全力で向き合うその姿勢からは学ぶべきものが多くありました。

アジアのファッション文化、ファッションそのものが世界で注目されるその日を、久保寺さんの今後と共に期待したいですね。

久保寺恭子(くぼでらきょうこ)さん
’07年お茶の水女子大学生活科学部人間生活学科卒業。
’08年文化服装学院Ⅱ部服装科卒業。
’10年文化ファッション大学院大学修了後、株式会社ワールドに開発MDとして入社。マーケットリサーチ、ブランドのリブランディング、商品企画等に携わる。
’14年渡印。インドのアパレルメーカーにて勤務、日本向けの商品企画及び、生産管理を行う。
’16年より、文化ファッション大学院大学助教として現在に至る。

 

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