夫婦息子娘の家族4人でインドへ移住された前泊一家。奥様の前泊みなみさんは、現地の不動産企業でセールス・カスタマーサポート・ウェブ作成と幅広くご活躍。インドで働く2児の母、南さんにインタビューしました。
中学生の頃から、インドの「多様性」に惹かれていた
これまでの経歴
高校卒業後、イベント関係の仕事やマスコミ業界での仕事をしていました。その傍ら、日本にない海外の雑貨を輸入販売できないかと思い立ち、台湾で商材の買い付けをし、日本で販売することもしておりました。
みなみさんとインドとの出会い
4人兄姉の末っ子だった私は、小学生の頃から自由っ子で、成績簿にはよく「協調性がない」と書かれていました。(笑)幼いながらも、「周りと一緒じゃなきゃいけない」という日本の風潮に違和感を持っていましたね。特に女の子は群れるじゃないですか、あれがとても苦手でした。自分らしくいたいのに、周りにどう思われるかを考えながら行動しないと仲間はずれにされてしまう。中学生の頃は引きこもりがちでしたね。そんなことから日本とは別世界の自由な国、インドに気付けばどんどん惹かれていました。インド音楽や、偶然実家にあった本 『かっぱが覗いたインド』等がきっかけで、インドに興味を持ち始めて色々調べるようになったことから、「ここなら自分らしくいれる、自分らしくいることが正なんだ」と感じていたんですよね。
初めてのインドへの渡航
初めてインドにきたのは21歳のときでした。インド留学して音楽を勉強したいという私を両親が心配し、まずは視察に行って来なさいと10日間のツアー(デリー・アグラ・ジャイプール・カジュラホ・バラナシ)に参加させられました。そのツアーでなんとしても留学の足掛かりを作ろうと考え、現地の添乗員さんと仲良くなった私は、インドで歌を習いたい思いや、アーユルヴェーダへの興味を話しました。そして、 「そんなにインドへの想いがあるのならいつでもインドにおいで」 と一言をもらい、帰国しました。これ!と思ったらとことん追求する私の性格から、日本に戻り1ヶ月しないうちに再度インドへ渡航しちゃいました。「こんなに短期間で本当に戻ってきた日本人は初めてだ!!」と添乗員さんも驚いていましたね。(笑)お部屋探しや歌の師匠を探すのを手伝ってもらい、渡印1週間後には新生活を始めていました。そこで北インドの伝統音楽「ヒンドゥスタニークラシカルミュージック」を学びました。当時のVISAの関係で3ヶ月で一度日本へ帰り、再度渡印しようと思っていた矢先、父が大怪我をしてしまい断念。そこから今回インド就職をするまで、一旦私のインドとの関わりがストップしてしまいました。
夫婦息子娘4人でインドという選択
インド移住を目指された理由
東京で出会った旦那さんと結婚し、2児の子供に恵まれ、今までは自分のことしか考えていなかったのが、どうしたら家族を守っていけるだろうと考えるようになりました。3・11の地震の際、第一子を妊娠中でした。当時東京に住んでいた私は、子供のことを思うと原発に対する不安が大きかったです。旦那さんとの話し合いの末、最終的に彼の地元である宮古島への移住を決め、宮古島では子育てに専念しました。環境の不安は除かれたのですが、第二子も生まれ、年金・税金・福祉の問題から国に対して不安を感じ始めました。子供たちに世界でも活躍できる力を付けてあげたい。私達両親が閉塞感にかられている姿ではなく、自分らしく活き活きとしている姿を見せてあげたい。自分で生きていける力を持って欲しい。そんな強い思いから夫婦で海外就職、インド就職を決心しました。
現地企業Miyako Managementで働かれていかがですか?
一言で言うと良かったと感じています。インド人は仕事よりも何よりも家族が優先。それもあって弊社の代表も家族に対しての理解が非常に大きいと感じています。日々の仕事は、サービスアパートメント・オフィス物件の紹介、車の手配、ウェブサイト・SNSアカウントの管理・パンフレットの作成等をしております。やりたいことをやらせてもらえる、期待に応えれば次もどんどん任せてもらえる、非常に風通しが良い環境で毎日とても充実しています!
大変なことは?
大変なこと…やはりインド人スタッフの感覚ですかね。良くある話しですがとにかくマイペース。入居手配等はインド人スタッフのみに任せてしまうと、日本人とインド人目線の完成度のギャップでお客様に迷惑を掛けてしまうので、必ず私がチェックしています。何でも必ず自分の目で確認、家具の設置まで自身ですることもあります。インド赴任で不安を抱いているお客様が少しでも安心できるような、きめ細かいサービスを心がけています。
インドで働きながらの子育て
インドと日本の子育てを比べてみて(良い点・大変な点)
うーん、楽かもしれません。インドではメイドさんにベビーシッターをお願いする文化があるので、私も彼女に力を借りています。家事もやってもらえるのでとても助かりますね。子供たちは16時頃に幼稚園から帰ってきて、私の帰りは19時頃なのですが、その間彼女が面倒をみてくれています。彼女のお陰で、家事に振り回されることなく、帰宅後は子供たちとの時間を有意義に過ごせています。メイドと言っても私は同じ屋根の下で過ごす家族の一員と考えています。大変な面は、まずは食事ですかね。外は辛い食べ物ばかりで子供たちが食べられるものが全然なく、基本は自宅で日本食を作り食べさせています。最近は慣れてきたこともあり、幼稚園の給食のインド料理も食べるようになりました。あとは現在ぶち当たっている壁というと、長男の小学校入学問題ですね。入学競争が激しくて…
3歳と5歳のお子さんはどんな幼稚園へ通っているのでしょうか?
現地の幼稚園に通わせています。旦那さんと探し回って、遊ばせるだけでなくしっかり英語教育を行なってくれる幼稚園を選びました。送迎と給食もオプションで追加することができるので、とても助かっています。午前9時~午後4時まで預けています。初めは毎日泣きながら通っていたのですが、今では元気に通ってくれていて一安心です。二人は本当に仲良し兄妹で、二人にとってお互いの存在が一番大きい支えなんだと思います。
長男小学校入学に向けて
ローカルの英語教育を行なう私立小学校は、3000ルピー~10,000ルピー/月程で通えるようです。入学金は1万~3万ルピー程。入学の可否を決めるのには、ポイント制度(家から学校までの距離・親、兄弟が同学校に通っていたか・何ヶ国語話せるか等)というものがあって、ポイントが高い順に入学が許可されるんですよね。外国人の私たちはポイント制度での入学は非常に不利です。デリーの入学競争は激化しているらしく、ある家庭では入学を決める為に21校応募して、そのうち返事が来たのは1校のみなんてこともあるそうです。学校から返事があれば、申請・面接が行なわれます。皆、まずはとりあえず入れるところに入り、転入をして希望の学校に入るようです。これはもう日本人の私で対応しきれる問題ではないので、多くの方の協力を仰ぎながら現在も探している最中です。
一生一回、とにかく楽しそう!やってみたい!ということにはチャレンジ
休日の家族との時間
休日は皆でよくインド門へ出かけます。近くに遊具もあって、子供たちのお気に入りなんですよね。日本人の子供は珍しいからか、子供たちはインド人に囲まれてアイドルみたいに良く写真を撮られています。(笑)初めは急激な環境の変化でよく泣いていた子供たちも慣れてきて、今ではたくましくインドの子供たちとコミュニケーションを取って活き活きと日々過ごしています。
インドで見つけた夢・チャンス
JACさんの紹介でご縁があったMiyako Managementで、新たな目標ができました。会社をさらに大きくしたいというのはもちろん、現在は新たな事業の立ち上げも進行中です。これも本当に不思議なご縁で話が進んでいて…人生何が起こるかわからないものだなと感じますし、とてもワクワクしています。まだまだこれからですが、思い切ってインドに家族4人でチャレンジして、良かったと今は強く思っています。
お子さんのいらっしゃる、インド就職を目指されている方へメッセージをお願いします!
メイドを使う文化に抵抗がなければ、家事の負担は少なく済みますし、インドは子育てし易い環境だと思います。インド人は「子供は騒いで当たり前」と考えているので、電車や飲食店などの公共の場で子供たちが騒いでいても、皆笑顔で見守ってくれて、日本で感じるあの冷たい目線は全くないですね。あとは日本とは大きな文化・言葉の違いがあるので、子供のメンタル面・学業面で私たち親がどこまでサポートできるかが大事だと思います。そこを上手く乗り越えられれば、子供たちにとって無限の可能性が広がるのではないかと私は感じています。
※下記はインド渡航時の上海でのトランジット時に訪れたディズニーランドでの家族写真。
編集後記:
周りに何を言われようと、やってみたい!と思ったことをまずはチャレンジするマインドのみなみさん。このインド就職・家族での移住という選択は、そう簡単にできない決断ですが、困難に立ち向かいながらも旦那さんとお子さんたち4人でタッグを組んで前進している姿に、みなみさんご家族の未来がとても楽しみに感じました。みなみさん、「このインド就職は旦那さんの支えなくしては実現不可能でした。彼の存在・支えに心から感謝しています。」と最後に一言。これからもステキなみなみさんご家族のインドでの挑戦を応援しています!
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