海外就職を経て、自分らしい生き方ができるようになったキャリアパス | 元JAC Recruitment India 鍵本知里氏へインタビュー

JAC 鍵本

2019年6月に、JAC Recruitment India現地採用として海外就職した鍵本知里(かぎもとちさと)さん。学生時代から胸に秘めていた、海外への想いを実現するため、舞台としてインドを選び、日本で新卒入社した企業からキャリアチェンジ。2年半のインド就労、結婚、出産を経て、現在は日本で新しいキャリアパスを築いています。どんな形でも「ヒトの成長」に関わる生き方をしたいと語る鍵本さんの素顔に迫りました。

海外就職をインドに決めた理由は?

大きなきっかけは友人の結婚式。幸せそうだ、と思ったけど同時に二人で歩むとなると身勝手な行動も、チャレンジングなことも自分中心では考えられないと思いました。立ち止まって、これからしたいことって何だろうと思ったときに思い出したのが、学生時代にも考えていた「海外就職」という道です。元々新卒で入社した企業でも、海外進出できなかったら3年で次のステップを考えようと思っていました。

女性として結婚、出産、子育てというライフプランやキャリアパスを考えた時に、身軽な当時は海外就職するにはチャンスだと考えていました。

日本の職場では人手が足りず、早朝出勤、終電後の帰宅、休日出勤が普通でした。自分の要領が悪く、追い詰められた時期もありましたがその時期をある程度乗り越えていたので少し余裕があったのかもしれません。ともかく、年明けの目標に、「今年海外就職をする」と掲げて転職活動を始めました。

新卒で入社した会社で学んだこと

日本での会社員時代は、朝起きて、行きたくないなと思ったときやオフィスで毎日泣いている時期もありました。明らかにオーバーワークでした。目標数字を意識したことも無く、ただ日々をこなすことに集中していました。

営業でしたが、数字に執着したことがほとんどなく(執着する余裕が無く、が正しい表現ですが)目標数字を意識せずとも、ただやり切れば200%以上達成するような環境でしたので。(笑)ただ、その時期を経験したからこそ、感じることや、気づけたことも多くあります。もう一度あの時期に戻りたいとは口が裂けても言えませんが、過去を変えたいと思ったこともありません。

20代に自分のリミットを超えて働いた経験はよかったなと思っています。

仕事や悩みを抱え込み過ぎると心が潰れてしまうことや、当たりの強い言葉を真面目に100%受けないことを学びました。メンタルが弱っていると、正常な判断ができなくなってしまいます。

できないことは、できないと意思表示する大切さ、程よく力を抜くべきところは抜く、仕事を家まで持ち込まない。そういったメリハリを意識した働きができるようになったのも日本の辛い時期を乗り越えてからでした。

海外就職にインドを選んだ理由

実は転職するまで、インドへの渡航経験はありませんでした。海外就職での国選びに関しても、全くこだわりがなく、逆に、若いうちにできる限りタフな環境下で、カルチャーギャップを多く感じられる国がいいと思っていました。そこで、海外就職先の選択肢にインドが挙がり、迷うことなく決めました。

転職エージェントから言われた「今まで何をやってきたかも大切ですが、それよりも将来何がしたいかをもう一度考えてみてください」という言葉で、自分の過去の棚卸、将来のビジョンを考えた結果、「会社としてヒトの成長に関われる職業」が将来のビジョンに繋がる仕事だということに気づき、転職活動の軸を見直しました。

海外就職を決め、転職活動を始めた当初はIT系の企業をメインに応募していました。転職活動における「場所、業界、業種」の観点で、全てを変えるので相当大変だと思いました。そもそも業界を変える理由もあまりなく、将来やりたいことも特に定まっていなかったので。

当時の自分は、明確にやりたいことや「将来なりたい理想の姿」なんて無くて「とりあえず海外!」「グローバル人材になりたい」といった、曖昧な想いを面接で伝えており、「君は海外で何がしたいの?」「グローバル人材って何だと思ってるの?」「日本で英語が使えればいいのでは?」などと、よく指摘されていました。

当時は反抗心が強く、悔しい思いをしてましたが今考えると真っ当な意見でしたね。

人材業界へのキャリアチェンジを決めた理由

インドという国を、海外就職先の場所として決めた後、いくつか選考を受ける中で、上記のような転職エージェントからの言葉を受けて自身の棚卸しをしたことがきっかけでした。

棚卸しした項目は過去に感動したこと、刺激的だったこと、わくわくしたことを紙一杯に書き出して、自分という人間の歴史を振り返ってみました。その中で、大学3年生時に渡航したフィリピンで参加したスタディツアーのことを思い出しました。

インド 海外転職

12日間のプログラムで、英語を学びながら、社会課題を知るという内容でした。日本から応募した学生と現地のボランティア学生がペアになって、寝食共にプログラムをこなして行きます。何となく、楽しくて継続してそのNGOと関わりを持っていましたが、その後運営側のサポートとして参加する機会がありました。

そこで、参加者の日本の大学生が初日に見せていた固い表情と、少し尖った対応がプログラムを通して劇的に変わっていく様子を見て、とても感動したんです。ここまで人が変化するんだというのを短期間で見て、素晴らしいなと感じました。その団体で働くことは収入の面でも正直厳しかったので、就職先としてはその当時選択肢に入りませんでした。

その時の出来事を思い出して、自分がどういった体験で感動したりポジティブな気持ちになるのかを認識したんです。それであれば、会社としてヒトの成長に関われる職業を選びたいと思い、人材業界へキャリアチェンジすることに決めました。

 

いざ、海外就職。英語を使って働くとは

未踏の土地、インドで生活する不安はなかった

インドへの渡航は初めてでしたが、東南アジア諸国、海外にはいくつか行ったことがあったので不安はほとんどありませんでした。旅行、短期留学、インターンで以下の様な経験をしていたので、国(環境)が変われど多少のことは動じないと思ったからです。

・タイ語しか通じないおばさんに、ランドリーで毎回全力で気持ちを伝えて、オーダーしていた。

……英語圏ではない土地での生活の難しさを知る(タイでの短期留学)

スタディーツアー 海外

・東南アジアでよくあるマーケットの鼻をへし折るような悪臭。耐えがたいが、死ぬほどのことではないと感じた

……日本ほどクリーンな国が珍しいのだという勝手な納得感を得た(東南アジア 旅行)

・夜道でスマホをひったくられそうになったが、引っ張り返し、全力で走って逃げた。

……スマホを落として交番に届くのは日本くらい。自分の身は自分で守らないといけない。(カンボジアでのインターン期間)

スタディーツアー 海外

・真夏で大きなバックパックを背負い疲労困憊の中、道を尋ねたが、3名聞いて全員違う方向を示した。

……100%ヒトを信じず、正解を自分で見つけるべき(スリランカ旅行)

・公共バスの中で痴漢されそうになる

……全て相手のせいにしない。自分の身は自分で守る。(スリランカ旅行)

生活の不安よりも、キャリアチェンジで、全く経験のない業界で働くことに少なからず不安がありました。思うようなパフォーマンスが出せるかどうか、上手くキャッチアップしていけるかどうか、などを考えていました。

現地採用でのインド就職の場合、ほとんどの方は日本での年収より下がってしまいます。収入に関してほぼ気にしたことがなかった日本の会社員時代とは状況が変わりますので、不安が全くなかった訳ではありませんでした。

ただ、“若い頃の努力は買ってでもしろ”という言葉があるように、キャリアパスを第一に考えていたので海外就職による給与ダウンには納得していました。

 

初めての海外就職。英語を使って働く不安

実務経験もなかったですし、TOEICの点数も年々下がっていたので、不安はもちろんありました。

ただ、「英語を使って仕事をする」という点は、海外就職で成し遂げたい目標の一つだったので、多少苦労があっても努力はする意気込みがありました。

実は、中学、高校時代英語にあまり興味がありませんでした。大学3年生になり、学生時代にやり残したことってなんだろうと考えた時に「留学」が思い浮かびました。

ろくに調べもせず、留学行けば英語ペラペラになるだろうという甘い気持ちでタイ留学へ。父の友人がタイの大学の教授で、その大学であれば半年通えるという話があったからです。英語圏ですらないタイで、知識も乏しく渡航してもちろん壁にぶつかりました。「全く喋れない、なにを喋っているか聞こえない」そんな日が続いていました。

ただ過ごす日々が続いたある日、ドイツ人の留学生から「君は僕の言ってることの半分も理解してないの分かったふりしてうなずくよね、もっと勉強した方がいいよ」とぶっきら棒に言われ、自分の情けなさと、英語への恐怖心が沸きました。その日から、英語を使うことが怖くなり、出来るだけ留学生を避けて通学し、家ではひたすら英語のインプットをし始めました。とにかく、学ばないと、という気持ちがあり、ひきこもりの日々が続きました。

タイ留学後にそのままフィリピンのスタディツアーに参加しました。そこでなんと、英語がスムーズに理解できて、更に口からもどんどん出てくる経験をしました。また、フィリピン人のラテン的な明るさ、好奇心が英語への恐怖心をぬぐい取ってくれました。

タイで感じた英語の壁、フィリピンで感じた英語を通じてのコミュニケーションの楽しさが私を海外への一歩に導いてくれた気がします。その後も地道に学習を続けて行ったことで、海外就職という道が開けたと思っています。

インド英語の訛りへの戸惑い

私の場合、東南アジアの田舎訛りの英語や、タイ語訛りの英語を聞いたことがあったので、インド訛りに関しても慣れるのにはあまり時間がかかりませんでした。

それよりも、働くうちに英語が「ツール」であることを深く実感しました。自身の意見を示したり、スピーディに、タイムリーに伝えることが求められる場面が何度もあり、自身の力不足に悩まされました。

それは英語が壁というだけでなく、それ以上に自分の主張を持ち、伝える力が不足していると感じたからです。これは、グローバルに働くということにも繋がる考えでもありますが、「主張を持ち、発信する」ということが海外就職では求められていると思います。

海外就職での英語の使用頻度

英語の使用頻度はポジションや業種によって異なります。私の場合、顧客は日系企業が大半だったので、顧客に対して英語で会話することはありませんでしたが、社内での話し合いや連携は英語がほとんどだったので、日本語と英語を半々くらいで使用していました。

インド生活、20代後半独身の当時、不安や孤独と上手に付き合った

辛いこともありましたし、悩むこともありました。辛い時は苦しいのですが、自分を見つめ直すきっかけになりましたし、ある意味筋肉痛みたいなものだと思うようにしていました。痛みを伴うと、筋肉は肥大しますので。辛さの先には成長があると今でも信じています。

辛い時や悩んだ時は自分の中でゆっくり整理して、消化しきれなければ、友人に相談するようにしていました。溜め込んでも、解決しないことは新卒入社した会社で学びました。

辛い時やストレスを感じたときは、定期的な運動をしていました。

ランニングして汗をかくと、気分がさっぱりしますし、気持ちも前向きになります。

インド ランニング 海外転職

長距離を走るのは辛いこともありますが、気づきが多くあります。特に長距離は自分と向き合う時間が長く、ある意味耐えなければいけない時間も長い。練習量や集中力、持続すること、身体と向き合うこと。すべてが結果に素直に表現されるこのスポーツは、私に耐えることを教えてくれますし、時に諦めることの重要さも教えてくれます。

 

インドで働いて気づいた海外就職の魅力

海外就職だからこそ実現できたポジティブな面

時間の過ごし方、働き方を良い方向に変えられました。

職場にもよりますが、インドは基本的に残業という概念がありません。そのため、いかに効率よく、すべき業務に集中するかを考えるようになりました。

働く姿勢だけでなく、生活にもその変化が起きました。以前は食事する時間も惜しんで過ごしていましたが、インドではほとんど自炊をしていました。家もキッチンが広く、料理しながら音楽を聴いたり、。これはそれまでの自分にはなかった時間でした。

日本にいたときは、仕事中心の生活でしたが、自分の時間を持つことで、食事や趣味、学びの時間を得ることができたのは大きな変化でした。

また、自分の価値や可能性も広がったと思います。

「きっかけは何でもよく、そこで何をするかが大切」というのが、私の考え方であり、結果的に選んだ国で吸収できたことは無限大でした。インド人と働くという難しさ、宗教、文化、インドにいる日本人の個性の強さ、仕事の難しさ、何を取り上げても特別なことが多く、日々成長させられる環境でした。

「駄目元でも交渉する」

インドに来て身に付いたことの一つを例に挙げると、とりあえず、できるか聞いてみる、ということです。仕事の交渉の場でもよくありますが、日常的にも「この料理メニューにないけど、作れる?」と聞くと、意外とできたりするのがインドです。ある意味図太い神経は日本人には備わっていない能力ではないでしょうか。

「アイデアが浮かんだら、まず行動してみる」

自主的に考えて、行動に移す早さはインド就職で身に付いたことの一つです。もたもたしていると、置いて行かれるのがインドです。何かと、日々刺激のある国であることから頭の柔らかさは倍増しました。

日本で働いていた時の「受身」の姿勢ではなく、「能動的」な働き方ができるようになったのは大きな変化の一つでした。

海外就職をして出した「グローバル人材とはなにか」の答え

転職活動時に面接官によく聞かれた、「グローバル人材とはなにか」という質問の答えですが、現時点で考える私の思う「グローバル人材としての働き方」は、様々なバックグラウンドの方と共に同じ目標に向かうということだと思っています。

それは年齢、性別、宗教、価値観等がそれぞれ違う中で、どうやって理解し、調和させ、ゴールに運んでいくか、ということです。インドは特に各々のバックグラウンドが異なります。

インドと言えど、13億人の大国は、地域によって使われる言語や、食習慣、肌の色や外見も違います。インド人同士でも意思疎通が難しい中、まずは相手を知ろうとすること、足並みを揃えられるよう歩み寄ることがグローバル人材には大切だと感じています。

グローバルの定義が多言語、多宗教、多価値といった多様性(ダイバーシティ)とするならば、インドはグローバル人材として成長するにはうってつけの場所です。インドのような変化速度の早いマーケットにおいては、グローバル人材の定義も日に日に変化するように感じました。その変化に順応していくことでグローバル人材としても成長するのではないでしょうか。

インド 海外転職

 

JAC Recruitment India を退職し、新たなキャリアパスに挑戦。

2年半のインド就労を経て、現在は「次世代リーダー創出」をミッションにしているタイガーモブ株式会社で働いている鍵本さん。転職のきっかけは?

JAC 鍵本 転職後

転職のきっかけは今のパートナーとの出逢いでした。丁度コロナ拡大中の一時帰国中にご縁があり、出会った方と真剣に将来を考えることがありました。直感的に、この人といるべきだと思い、転職を考え始めたタイミングで現職からお声がけいただいたのがきっかけです。

インドでまだまだやりたいこともありましたが、心の声に従って転職。JAC入社時にも掲げていた軸である「変化や成長をサポートする」という点と、転職だけでなくチャレンジの機会も提供できる環境に共感し、踏み切りました。

インドにいる間に考え続けていた「自分が本当にしたいこと」に気付いていたからこそ、直感で大きな決断ができたのだと思います。

現在は育休中ですが、できる範囲で仕事をしています。現職の社長も育児をしながら働いているので、育児に対してポジティブな環境はすごくありがたいです。

改めて、インドでの海外就職というキャリアパスはどのように現在に活きていると感じますか?

インドで経験したことは、公私ともに今の自分を作っていると思います。何より、人生の幅を広げてくれた場所だと感じます。

キャリアパスという観点では、自由な発想で0から1を作っていく仕事ができるようになったと感じています。新規開拓や、何も無いところから仕事を作っていくインドの経験が生きています。

また、諦める理由探しを辞めて、できる方法を見つける姿勢もインドで身につきました。まだ20%のアイデアでも、何とか前に進めようとする、そういう完璧じゃない状態でも進もうとするマインドはインドならではではないでしょうか。

プライベートでは、自分の人生に本気で向き合う癖がつきました。迷った時は、誰のためでもなく、自分のために生きようと思って決断するようになりました。

自分が自分らしく生きることを大切にしているので、自分の子供にも、自分らしい選択をさせてあげたいと思っています。

▼鍵本さんのnoteで詳しいお話も紹介されています! | インドで働いたら考え方がアップデートされて、生きやすくなったハナシ
https://note.com/882809/n/nce57bb5f7a84

 

将来的な目標を「いいおばあちゃんになること」と話していましたが、現在はどのような目標を掲げていますか?

出産したので、おばあちゃんになるステップの1つは踏めたと思います(笑)

信頼され、記憶に残る人になるのにはまだ時間がかかりますが、自分のやっていることに誇りを持っていること、自分の進む道を自分で選ぶ、という点で着実にあゆみを積み重ねています。今の仕事は日々やりがいもあり、自分の軸と直結しているので、思い通りのキャリアパスが描けていると感じています。

現状に満足することなく、好きなことや得意なことを追求し尖らせていきたいです。文章を書くのが好きなので、何らかの形にしたいと考えています。

また、「いいおばあちゃんになる」という夢に対して、少し見方が変わったところもあります。

私の祖母は大阪で育ち、その時代では珍しく理系で、亡くなる間際まで税理士事務所の社長でした。それとは反対に私は文系で、関西人のようなユーモアは持ち合わせていません。祖母に憧れながらも自分はもっともっと自分らしさを磨いて、「いいおばあちゃん(自分バージョン)」になりたいです。長い人生の中で、軸はぶらさずに形を変えながら働き続けられたらと思います。

 

インド就業を目指す方へメッセージ

JAC 鍵本 メッセージ

もし、インドに呼ばれたら行くべきです。もし、インドに呼ばれたら行くべきです。(笑)冗談ではなく、引き寄せられる国だと思います。

私自身、国選び自体は「行ったことのないタフな国」という謎の判断軸で選びました。日本より不便で娯楽が少ない国かもしれませんが、文化は奥深く、より人間らしく、自分と向き合える環境です。僧侶になった気分で全身でインドを感じ、自分と向き合ってほしい。覚悟を持ってインド行きを決めた人には、必ず大きな見返りがある国だと思います。

インドという国、インド人から学べることは無限大です。

▼鍵本さんのnoteはこちら | インドで働いたら考え方がアップデートされて、生きやすくなったハナシ
https://note.com/882809/n/nce57bb5f7a84

※この記事は、2022年5月に公開した記事に加筆しています。

 

プロフィール | 鍵本知里

2015年3月日本大学文理学部 体育学科 卒業
中高教員免許は取得。ただ、自分のやりたいことが明確にならず新卒の就職活動はしなかった。
2015年4月長野県川上村農業バイト、 カンボジアインターン
第一次産業に興味があり、農業。海外で働くことへの興味からインターンへ。
2016年4月IT企業  法人営業(勤務地 福岡)
IT企業であれば将来海外へ行けるのでは、という安易な理由で入社。
全国勤務のある大手企業へ入社。後に技術者以外は海外にチャンスがほとんどないことを知る。
とにかく3年間、目の前の業務をこなすためがむしゃらに働く。
早朝出勤、終電後に帰宅を繰り返す日々で心が疲弊した時期もあった。
2019年6月JAC Recruitment India 入社
2021年10月JAC Recruitment India 退社
2021年11月タイガーモブ 入社 現在に至る

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