インドで働く人々のインタビューシリーズ、今回はインドにて起業をし、複数の事業を経営すると同時に、事業の一環としてアニメ文化をインドに広める長尾さんに、これまでに至る経緯までをインタビューさせていただきました!
今を支える過酷な4年間
インドで起業されるまで、日本ではどのような事をされていたのですか?
一番遡ると、大学浪人時代まで戻ります。当時、勉学と平行してテレビ制作会社にて大道具としてアルバイトをしていました。このアルバイトがとても面白くて、勉学そっちのけでアルバイトに没頭していました。その内、進学をする必要性を感じなくなり、この世界に飛び込む事を決断しました。そのうちに、大道具としてでなく、実際に番組を作る制作に興味がうつっていきました。元々自主映画を撮った事もあり、映像制作にはどうしても関わっていきたいという思いが強くなっていき、AD(アシスタントディレクター)としてキャリアをスタートさせました。
このADという仕事が中々の過酷な環境で、この時代が今の自分を支えていると思っています。ADはディレクターに弟子入りする形になるのですが、とにかく忙しいし、時間がない、その中でもディレクターの世話役のような事もせねばならず、先輩の好みの煙草は常に鞄に入れておく、目覚ましコールのかけ方、飲み会のセッティングなど気遣いといった面でも社会の厳しさを学んだ4年間でした。あまりの忙しさのため1週間に1度程度しか家には帰れず、ひどい時には3週間お風呂に入れないなんて事もありました。少しだけ空いた時間の隙間で、「睡眠」か「入浴」の選択肢どちらを選ぶかなど、とにかく忙しい日々でした。
ただ、自分はどうしてもディレクターになって映像制作に携わりたかった、辞めていく人達もたくさんいたのですが、情熱をもった仲間と励ましあったりしながら歯を食いしばった4年間でした。この時期があるからこそ、今でも一日20時間働くのも苦にならないんです。
自分は凡人なので、人の倍動かないといけない、これは時間でカバーするしかないなと、それを一年続ければ大きな差がつくんです、そういった事も学べた貴重な経験でした。
4年経ち、念願かなってディレクターになってからも大変さは変わらず、今までの仕事とは違って映像に対する責任が出てくるんです、しかもそれも全部一から学びなおさないといけない。この頃になると、給与も倍になりました(まぁ、元がかなり低いのですが笑)
バラエティ番組から、スポーツ関係、ドキュメント、色々携わらせてもらいましたが、忙しくてもやりたい事が出来ていたので毎日とても楽しかったです。

(※2005年、ロサンゼルスにロケに行った時)
インドで起業に至る経緯、長尾さんを変えた2つの大きな気づき
順風満帆に聞こえるのですが、何故全てを失ってまでインドでの起業を決意されたのですか?
元から起業をしたいという気持ちはずっとありました。小学校の文集にも、将来の夢は社長になると書いた記憶もあります。(笑)そんな中でも、大きくいうと2つ、自分の背中を押してくれた出来事があったんです。一つ目は、プロのスポーツ選手。当時スポーツ系のドキュメンタリー制作で、オリンピック選手に数年間密着をしていました。女子バレーボール選手に密着をして、練習や日々の生活に至るまでを垣間見たのですが、彼女達の勝つための意識に影響を受けました。とにかく練習もハードですし、生活面でもあらゆる工夫をしている、故障や怪我をしてしまう事も考えながら計画性を持って練習に取り組んだりしているんです。そして、何よりも「オリンピックでメダルを取る」という目標から一切ブレないんです。しかもそれを小さい頃からずっと目標として持ち続けている。こういった姿勢を見て、自分も何かしたい、目標を高く持って、挑戦したいという気持ちが強くなりました。
2つ目は、ビジネススクールです。29歳の時、バラエティ番組なんかを基本に制作していたのですが、ふと疑問に感じてしまったんです。夜中まで一生懸命ダジャレや面白い事を毎日のように考え、本当にこれでいいのかな?と。
そういったきっかけもあり、大前研一さんのビジネススクールに通い出しました。ここでビジネスについて学んだとともに、一流企業の人達とも会うようになりました。これが当時の自分にはとても刺激的で、起業への意欲を掻き立てられました。
そういった背景から、5年後に起業をする。という明確な目標を立てたんです。そのために煙草も止めて、ギャンブルも止めて、貯金や読書、ジョギングをするようにして、習慣から変えるよう努力していきました。

(※2007年、ホノルルマラソンのロケにて)
テレビ制作会社から一転、長尾さんが選んだインドで起業という選択
いよいよ起業するにあたり、海外、しかもインドで起業した理由は何だったのでしょう?
幼少から小学校3年生まで、親の転勤でマレーシアに住んでいました。日本人学校の友達はみんな遠く、近所の外国人の友達とよく遊んでいました。海外で言葉が通じないことや、異文化、停電など日本と全く違う環境でも何とかなる事を幼少時代に経験していたことはかなり大きいですね。大人になってから、毎年、大好きな海外旅行はするようにしていたのですが、2011年お正月にインドへ行った時がターニングポイントですかね。約35年前のマレーシアと、当時のインドの雰囲気がどこか近しいものを感じて懐かしく感じたんです。混沌とした街で、言葉が通じないながらも、色んな国の人と遊んだ記憶などを思い出して、「海外」で挑戦してもいい、しかもインドでって、考えるだけで面白いと、パハルガンジでビール飲みながら妄想してました。それでJETROさんや、当時の駐在員に話を聞いてみたら、自分の得意分野である映像制作をやっている日系企業がなかった、それなら自分でやるしかないと思ったのがきっかけです。それで同じ年に、インドに渡航をしました。最初は語学を身につけるために、語学留学、そして空いた時間で市場のマーケティングなどを行っていました。ただ、何をやるのかも分からない、どうやって会社を作ればいいのかも分からなかったので、色々な人に話を聞きながら手探りで事業を進めていきました。
現在の事業である映像制作、そしてアニメ関係に至る背景は?
インドに会社を作るにあたり、取締役が2名必要でした。そのため、もう1名を高校時代の同級生にお願いをしてパートナーになってもらいました。当時、その彼がアニメ関係の商品の卸売りなどをするビジネスをしていたので、それもチャンスがあるか探ってみる事になりました。当時ちょうどインドでアニメイベントが始まったばかりで、マリオのコスプレをして乗り込んだらとても人気があったのです。そこで大きなチャンスを感じました。インターネットも普及し始めていて、日本のアニメは少しずつ人気が出てきています。
ただ、簡単には上手くいくはずもなく、苦戦を強いられる事も多かったです。特に苦戦したのは、値段です。当時、日本で作った高品質のアニメフィギュア、これを1万円で日本で仕入れると、関税などがかかって売値は倍近くになりました。それでは、中々買い手がつかない。そのため、多少品質については妥協をしても、庶民に手の届く商品展開を始めました。また、日系企業としてはどこよりも早くオンラインやイベントを通して、アニメ文化を広めるなどの活動しているおかけで、インドの日本アニメファンからの認知度は一番になりました。
最近では、ナルトやデスノートなど人気キャラクターのライセンスを取得し、現地で製造販売なども始めています。Tシャツ関連ではとても人気で、日本とは違ってとにかく派手にする、バックプリントは人気がない、また白いTシャツは汚れるので黒いTシャツが人気があるなど、やってみて分かる事はまだまだたくさんありますね。
映像関係は元々の得意分野であったので、制作を中心に行っています。日系企業のプロモーション制作が主流となっています。一方では、インドのカンフースクールのプロモーションなんかも手掛けたりしました。また、ディレクションも行っており、企業のオープニングセレモニー、日印イベントなどのディレクションも請け負っています。映像事業は今後より力を入れて、目標の一つであるインドで映画製作も念頭に活動していきます。

(※インドのカンフースクールの撮影時)
インドにかける熱い思い、どんどん成長する国だからこそ出来ること
インドだから困った事や、苦労した事はどうですか?
仕事面での苦労よりも、生活面での苦労が最初はストレスでした。家の水道が壊れたから、一日中家にいないといけないとか。後、自分で運転をしているのですが、一年に30回以上ぶつけられますね。(笑)最初は飛び出して怒っていたのですが、今ではそれも疲れるのでやらなくなりました。言い争いになって100名くらいの野次馬に囲まれたなんて事もありました。これからの将来をどうお考えですか?
5年前、当時は不安と期待があったのですが、今は不安は一切消えていて挑戦意欲に溢れています。インドに来てタフになったし、やってる事もとても楽しい、今は自分の将来がとても楽しみです。会社名にエンターテイメントが入っているので、そこに関わる事は、他の事業も試していきたいと思っています。また、中東などの他の国への展開も視野にいれていて、ドバイなどでもイベントに参加したりしています。自分が楽しいと感じること、好きなことをやれているのは、自分の強みだなと感じます。
これからインドで海外就職を目指す人に一言お願いします
出来れば若いうちに来たほうがいいかなと思います。これからの世の中は、既存の方程式がどんどん崩れていく時代だと思います。そういう意味では、元々ルールのないインドに来ることは大きな意味があると思います。ただ、中々甘くもない環境なので明確な目標と覚悟をちゃんともって、孤独な状況でも戦っていける気概のある人であれば、インドでの経験は、これからの時代を生き抜くための糧になるでしょう。
編集後記:過酷な4年間が、今の自分を支えていると語る長尾さん。また、好きな事をやっているから辛くない、今なら24時間でも働けるんです!と笑顔でお話下さったのがとても印象的でした。来た当初は不安でも、少しづつ挑戦意欲を掻き立ててくれる、ルールのない国だからこそ、チャンスもたくさんあるのだと改めて認識させてくれるインタビューでした。