インドで働く男子の大挑戦:「人生で一番辛い日」113kmトライアスロン

本ブログは、JAC Recruitment Indiaの人材コンサルタントとして働く福岡洸太郎のインドで起きた人生で一番つらい日を綴った記録です。

インド就職と関係ないのでは!?と思われる読者の方、すいません。ちょっとした箸休め的なコラムだと思って、いや7000文字もあるので軽くは読めませんが、本ブログをお楽しみいただければ幸いです。

インドで働く人材コンサルタント 福岡洸太郎ってだれ



熊本生まれ愛知育ち、29歳。スポーツはそこそこで、勉強もそこそこだったが血の滲むような努力の末、東京大学に入学し、教育学や宗教学、哲学、倫理学などを学ぶ。

大学卒業とともにバックパッカーのたびに出て世界25カ国を渡り歩く。そこで見た「働きたくても働けない環境にいる人」に働く機会を提供する仕事をしたいと思い、日本にて3年弱人材業界で働き、その後渡印して採用・キャリアコンサルタントとして就業中。

趣味はドラムと読書と最近まではトライアスロン。直近ではインドの孤児院等に訪問し、「生まれてすぐに機会が失われたとも捉えられる方」に対して自分に何ができるかを模索中。

このYoutubeに僕もチョロっと参加しています。

インドでトライアスロンはどれくらいやばいのか

トライアスロンはスイム、バイク、ランを死にやすい順番で実施する競技です。「溺れ死。事故死。熱中症。」この順番です。泳いで、自転車漕いで、走ります。はい。

どれぐらい走るかと言いますと、オリンピックの場合51.5kmです。スイム1.5km、バイク40km、ラン10km。これでも結構しんどいです。

ちなみに私が今回チャレンジした距離はスイムで1.9km、バイク90kmからのハーフマラソン20km。もうね。地獄です。

競技時間は7時間とかそんな感じです。

朝早くから昼ぐらいまでずーっと競技時間です。

インドでトライアスロンのトレーニングはできるのか

こんな感じの過酷なトライアスロンですが、どれぐらいの期間どんなトレーニングをするかというと、たくさん泳いでたくさん自電車漕いでたくさん走ります。そうすると完走できるようになります。

「失礼しました。」

113kmという距離を完走するために実施したトレーニングとしては大凡半年間かけて週2回泳いで週5回走って週1回自転車を漕いでいました。

そうです。1週間は7日ですが、週8回トレーニングしていました。

月曜    5km         走る

火曜日   1km       泳ぐ

水曜    5km         走る

木曜    5km         走る

金曜  10km         走る

土曜    5km         走る+2時間自転車漕ぐ

日曜        2km         泳ぐ

思い返すだけでも疲れます。もうやりたくないです。しかもここインドでのトレーニングはかなり厳しい環境でした。精神的に。

冬場は大気汚染がひどいので、走るトレーニングはジム置いてあるマシンのみです。変わらない景色の中、ひたすら右足を出した後に左足を出すだけ。

とても道路状況が悪く、一瞬でパンクする可能性が高すぎるのでこれもジムだより。自転車ローラーの上で変わらない景色を見ながらひたすら右足を上げて左足を上げてを繰り返すだけ。

このほんっとうに面白くない時間をただただ黙々と心を無にして修行僧の様に繰り返す。

ただそれだけ。

あとこんな私ですが、かなり真面目に仕事もしているので9:00〜18:00は仕事。

その前後にトレーニングとストレッチに費やす日々でした。

精神的にも体力的にも超過酷なスポーツで、他人に全くお勧めできません。

そもそもの発祥はハワイでアメリカ海軍が暇つぶしにやっていたものらしく、彼らにとってはまぁ過酷なぐらいがちょうどいいみたいですが。

インドでトライアスロン 大会一週間前



過酷。その一言に尽きたトレーニングをひたすら繰り返し、ついに大会一週間前を迎えます。

この日は待ちに待った日です。なぜかというと、この日でトレーニング終了だからです!!!!!!(youtuberがながす”いえーい”っていう効果音流したいぐらい嬉しい日です)

大会が近くなるとよく聞かれる質問として「追い込んでるの?」「絞ってるの?」と聞かれますが、そんなことをしたら当日死にます。体は嫌でも痩せるので普段の1.5倍食べてなんとか健康な体を維持していました。散々追い込んできた体は大会に向けて一週間もかけて回復させなきゃいけません。いや、そんな中「追い込んでるの?」って、、、怖いです。もう勘弁してください。

ということでひたすら心を落ち着かせて休む一週間は緊張感が高まる反面、体はリラックスしていきました。

ただやはり初めてインドでトライアスロンに出るということで、あらゆる意味での準備を念入りに確認します。

大会開催地であるリゾート地「ゴア」までの航空券の日付や自転車を機内に持ち込めるかどうかや、そもそも当日の朝空港までの車に自転車を詰めるかどうか、さらには大会独自のルールによって禁止事項がないかどうかなど、様々なことを一つ一つチェックしました。

そんな緊張感が日に日に高まる一週間ですが、普通に会社に行って仕事をしていました。

ただただ心を鎮めて体を休める日々

そんな平和な日々ですが、一つ気づいて驚愕したことがありました。

なんとこの大会、「ウェットスーツ着用禁止」と書いてあるじゃないですか!!!!私、海でウェットスーツなしで大会に出たことないのですが、、、とめちゃ不安になりました。ウェットの何がいいかって、浮力があるので沈まないんです。どんなに遅くてもとにかく生きて岸に戻ってこれるこの安心感があるんです。これがないなんて。。。もう自分の体を信じてやり抜くしかないという思いと、うわー怖いなーという気持ちでいっぱいいっぱいでした。

インドでトライアスロン 大会前日



前日にはグルガオンからリゾート地ゴアへ飛行機で移動。実は結構ギリギリのスケジュールです。というのもトライアスロンの大会は基本的に早朝から行われるので前日に説明会やレースゼッケン配布などがあるので、前日に会場にいってあれやこれやの準備があります。

まずは会場の下見。空港からホテルに着き、無事に輪行バック(自転車空輸用の袋)から自転車を取り出し、壊れていないかチェック。タイヤに空気を入れ、会場へ。

ホテルの前の道から会場までが当日のコースになっていたのでついでに下見もしつつ向かいました。下見でチェックしたのは何と言っても道のコンディション。いつも住んでいるグルガオンではとてもじゃないけどロードバイクが走れるような道は見つからない。そんな不安を抱えながらチェックしてみると、かなり良い状況でした。たまにあのスピード出し過ぎないようにするためのガタガタするやつがあるからそこはブレーキかけないとだなとか思いつつ会場に到着。



会場は豪華ホテルのプライベートビーチでした。ここに泊まればよかった。。。と思いつつ値段を調べたらなんと2万円を超え。さすがリゾート地。インドといえど高い。トライアスロンの会場はだいたいテントが立っていて一目で分かります。

わくわくしながら、会場内を見て回った、と言いたいところですが、一瞬で会場の外に出ました。そうです。めっちゃ狭い会場でした。受付と生存確認できるGPSの機会と自転車のメンテナンスをしてくれるじいちゃんがいるテントと三つのテント。それとトランジッションエリアが一つ。

トランジションエリアは、自転車とランの道具を置いておき、泳ぎ終わったあと、自転車が終わったあとに立ち寄って栄養補給しつつ着替えるところです。そのトランジションエリアがなんといっても狭い。こんなぎゅうぎゅうでやるのか、、、と心配になりました。

とりあえず心配は置いておいて、受付を済ませ、毎回恒例の何が参加賞としてもらえるか楽しみにしながら受付でもらった袋を開けると、なんと自転車のジャージが入っているじゃないですか!!!めっちゃ嬉しいこれ。

わかる人にはわかると思いますが、走る服は何枚か持ってるし、水着は一つで十分だし、いつももらえるのはTシャツなんで、サイクルジャージが入っていたのは結構嬉しかったです。勘の良い方はお気づきかと思います。そうですね。グルガオンに戻ったら使う機会が一切ありません。でもそんなことはゴアにいてしかも大会前日で興奮していた私には一切わかっていませんでした。はい。

その後自転車にナンバーをかけ、トライスーツ(強くなるスーツではなく、3競技共通して着用できる水着みたいなやつ)にまくゼッケンベルトを用意して、トランジションエリアでゴソゴソと自転車の準備。

自分のゼッケン番号のところに向かいながら番号を確認していて気づいたことがある。これ、めっちゃ参加人数少なくないか???????トランジションエリアが狭くてぎゅうぎゅうなんじゃない。ただただ参加者がめっちゃ少ないんだ。という半ば確信を持って受付のところで「何人参加すんの?」と聞いたら、登録が86人とのこと。「ドタキャンもいるからもっと減るね」とのこと。ドタキャンて、、、道端カレンさんみたいに複数の大会に同時エントリーしてんのか??????と思いましたがまずありえない。

インドは全然トライアスロンは盛んではないですし、ましてこの113kmのみしかない大会なんて他にない。そうでした。めっちゃ少なかったです。小学校のひと学年より少なかったです。

もう一つ大切な事前チェックとして、海に入っておきました。ウェットスーツが着用できないことが不安でしたし、湘南の海ぐらいの綺麗さ(汚さ)と聞いていたので不安を払拭するための、入水儀式です。

人生初のアラビア海はわたしの不安をよそにとても泳ぎやすく、暖かい海でした。ちなみに水は濁って茶色、スペインの海が信じられないぐらい綺麗だった反面、ここは視界悪くて大変そうだなという印象です。10分ほど泳いで、「あ、この海ならいけるな」という感覚をつかんだところで上がりました。

会場の雰囲気にもなれ、なんとなくの安心感を抱きつつ説明会の会場へ向かいます。その時にはすでに日本人が参加していることを珍しがったインド人たちがわらわらと話しかけてくれて、親しくなっていました。

トライアスロンのいいところは完走が目的の人が多くて、競争相手ではなく、過酷なトレーニングを乗り越えた仲間みたいな感情が芽生えるところだなーと改めて思いました。とりあえず英語でごちゃごちゃ言っている説明を一通り聴き終え、質問コーナーへ。

すると突然あるインド人らしき人が「周回コースってどうやって数えるんですか?」と質問をした。いやいやいやいやいやと心の中で突っ込みつつ、プレゼンターの応えに大きく頷く私。

プレゼンテーターは「1,2,3,4,5,6,7」と数えます。ってwwwwwwwさすがに草ボーボーでボーちゃんもびっくりでした。

そんな和やかな説明会も終わり、解散。インドなので、夜通しトランジションエリアに自転車をおいておくことに不安を感じ、ホテルまで持ち帰ることにしました。

前日の夜はとにかく炭水化物を掻き込み、とにかく早く寝ました。

スペインの大会に参加した時に全然眠れなかったことが懐かしいです。あの時は会社の看板背負って、多くの人に応援していただいての参加だったので、それはそれは緊張しました。今回も応援していただいていた方のことは思いつつ、ただ何よりも生きて帰るという目標だったのでまぁ比較したらだいぶ気楽です。距離はスペインの時の2倍ですが。

インドでトライアスロン 当日

いよいよこの日が来ました。ばっちり熟睡でき、大会スタート8時の3時間半前に起床し、再び炭水化物を掻き込む。もう後は生きて帰るだけ。もちろん完走に向けて頑張りますが、生きるか死ぬかなら生きる方を選ぼうと会場へ。

当日の朝、何回大会に出ても感じるこの緊張感と高揚感。これが病み付きにさせる原因です。高鳴る鼓動を抑えつつ、腕に囚人のようにゼッケン番号を刻んでもらいます。この油性ペンで刻まれる番号。毎回感じますが、結構嬉しいです。どこかの選手になった気分です。

そうしてスタート地点である海へ。緊張感が高まり、地元民の声援を受けながらスタートラインへ並ぶ。いつも思うけど、ここからスタートまではあっという間。8時を少し過ぎたぐらいでスタートの合図。

例の「ふぁーーーん」っという気の抜けた音ともに海へと駆け出しました。勝負はここから始まります。みんなが勢いよく海に突っ込んでいくのを横目にコース取りに命をかけ、人が少なく、コースの外側を一人優雅にスタートしました。ここはとても重要で、みんなと一緒にわーっていくと、バトルになります。このバトル。何も知らずに突っ込むと前の人の足が頭にあたり、後ろの人の手が足を掴んできます。これは結構死活問題で、普通にいきなりパニックになって溺れかける人もいます。

案の定救命ボートがものすごい勢いで目の前を通り過ぎ、何人かが捕まって一息ついていました。ちなみに私は救命ボートにひかれそうになって「おい」って突っ込むぐらいの心の余裕を持ってスタートしました。計113km、長い旅の始まりです。

順調に泳ぎ進め、これなら3.8kmでも全然いけるなーと余裕を感じながら緩やかに泳いでいました。ちょくちょくクラゲに刺されて痛いなーと感じつつ、これも千葉県の大会で経験済みなので焦ることなくあっという間に1.9kmという距離を泳ぎ切りました。誰かの後ろを泳ぐと楽に泳げることは知っていますが、自分のペースを乱さないことを優先すると全く実現できませんでした。

そして自転車へと乗るべくトランジションエリアへ。ここでは用意していたタオルで体を拭き、靴下をはき、ゼッケンベルトを巻いてヘルメットを被って、サングラスをして準備OKです。体を少し休ませるため、用意してもらっていたバナナと塩を食べて少しだけ休憩です。



そして、自転車を押しつつコースへ。いきなり激しい登り坂があるのですが、流石に90km走る前のこの坂はやばいと思い、歩きくことにしました。いやサボってるわけじゃなくて作戦ですからね。そして坂を登り終え、やっと自転車を漕ぎ出しました。

これ、おそらくインドぐらいしかないと思うのですが、コース上を普通に車もバイクも走っています。めっちゃ怖いです。ボランティアの方々が見てくれているとはいえ、普通にクラクション鳴らされながら走ります。計90km。7週の周回コース。ちなみに7週の数え方は簡単で、「1,2,3,,,」ではなく、小学校1年生から中学校1年生までの思い出を振り返りつつ走ることで絶対間違えません。この必勝法是非使ってください(笑)。

今回の大会は前の人を風除けにして走ってOKでしたので積極的に後ろに位置付け、ドラフト走行。90kmを一気に走り抜けたことはなく、初めてのチャレンジでした。しかし、スイムで体力を温存できていたのか、時間は長くかかったものの、走りきれました。普通にといっても90km。精神的にはOKでしたらが背中と首に少しの痛みを感じつつ、最後のハーフマラソンに向かうべく、再びトランジッションエリアへ。

自転車を置き、ヘルメットを脱ぎ、再度塩とバナナを補給し、最後のランへ向かいます。既に2回の達成感を抱き、最後の2時間半へ。ここまでくるともうあとは気持ち。もう死ぬことはないので意地でも完走しようという気持ちになっていました。とはいえ、最初の登り坂はやはり歩きました。これは絶対に走ってはいけない坂と確信していたのでもう何の迷いもなく歩きました。

坂を登り終え、最後のランがスタート。自転車を降りた時には感じなかった体の疲労が一気に襲ってきました。1キロ6分ペースなんてまず不可能。全身がだるく、1回1回足を上げて下げるだけで少しの頭痛と首の痛み。本当に20kmなんて走りきれるのか。

そんなコンディションになっていました。他の人を見てもかなり辛そうで、歩いては走り、走っては歩き、ときにストレッチをしてもはや精神だけで体を一歩でも前に持っていきます。自転車と違い自分が止まったら余力で動くなんでことはなく、進むためには自分の力が100%。とにかく登り坂は歩き、平坦で走るということを徹底しつつ進み続けます。

早くなくてもいい。次の一歩を止めなかった者には素晴らしい場所が待っている。そんな言葉を思い出し、日本で今でも応援してくださる方の言葉ひとつひとつを思い出し、めまいと戦いながら進みました。もはや意識は半分ぐらいしかない。辛すぎる。ただ不思議と一度も「もう止まってしまおう」という気持ちは浮かばなかったんです。

とにかく這ってでも完走するという一心で、前進し続けました。かかった時間は3時間。いつもより1時間も長くかかり、なんとか体を支えて見えてきたゴール。そこには全く知らなかったはずのインド人たちが歓声を上げて唯一の日本人のゴールを喜んでくれていました。

そしてついにゴール!8時にスタートして完走した時には15時を回っていました。

計7時間を超える長い長い旅が終わった瞬間でした。

インドで113キロのトライアスロンを終えて



29年間生きてきて間違いなく心身ともに最も辛い1日となりました。翌日、鏡を観るとそこには激しく日焼けし、たった1日で無駄な肉が全て落ちきった漢の姿がありました。驚くことに、113kmを駆け抜けたとは思えないぐらい元気な顔をしているわたし。終わってからホテルまでの道はゾンビのように歩いて帰ったとは誰も想像できないほど。

せっかくのリゾート地ゴアに来たのに観光しないなんてもったいないと思い、普通に観光しました。ここゴアは日本の歴史にも名を刻んでいるF.ザビエルの墓がある。ここだけは行かなければと思い、足を運びました。

観光を終え、グルガオンへ戻り、また日常が始まりました。仕事をし、本を読み、たまに筋トレの生活。

そもそもトライアスロンを始めたきっかけは「世界中のチャンスがない子供に寄付をする活動のため」という目的でした。自身がトライアスロンをやる意味や目的を見失い、半分絶望のような思いも持ちながらも、ただひたすらに泳ぎ、漕ぎ、走ってきたトライアスロン生活。自分にとってはただ好きで趣味としてやっている活動だったけれど、それを見て刺激を受け、モチベーションにつなげていただけたり、前向きになれたと声をかけていただいたりと、大変ありがたい言葉も貰ってきました。

しかし、インドに渡航したタイミングでトライアスロンは一旦やめることを決意。インドに来た目的に集中するため。そこにエネルギーと時間を注ぎ込尽くすために。

なぜ、今回再度チャレンジした理由したのか?

正直良く分かりません。何となく一番長いアイアンマンディスタンスを完走したいなーと思ってはいましたが、趣味の一環として続けていた程度の理由です。ただ、続けられて完走できた理由は明確です。

SNSにチャレンジしていることを投稿すると、応援してくれる方がいて、さらには私がチャレンジする姿を知って元気が出ると言ってくれる方がいたからです。特に自分のためになることでもないですし(健康のためならもう少し楽な方法があります)、辛い中でしたが、続けられたのは臭い言葉ですが、やはり周囲の方のお陰です。

最後に、常に横にいて時には時間をトライアスロンに使いすぎて怒られもしたが、応援し続けてくれた妻に感謝の意を込めてありがとうと言いたい。

 

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